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氷見の住宅
アンカー 1

ダイニングからゲンカン側を見る

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事務所併用住宅 | コミュニティ | 路地奥
再建築不可物件
2024(坂東幸輔・東工業株式会社と共同)
能登半島の付け根に位置し東側に富山湾を臨む水産資源に恵まれた土地、氷見市。 この場所は明治15年と昭和13年に市街地全体を焼く大火に見舞われた過去がある。災害によって2度の大きな更新を求められた氷見の土地は、防災建築街区造成法による防火帯建築が並ぶ商店街や、建築制限令により形成された黒瓦の街並みなど、災害と土地の特徴に応える形で作られた街並みを持つ場所と言える。
昭和13年の大火(氷見町大火)では町の総戸数の半数以上である1543戸を焼失し、中心市街地のほとんどを焦土にした。その焼けた範囲は災害後の区画整理によって升目状に区切られており、現在の衛生写真からも更新された範囲とそれ以外の地域の違いを確認することが出来る。罹災を免れ都市計画による開発からも外れた地域には、昭和以前にあった建物や道がそのまま残り、新しい街並みの裏で鳴りを潜めている。
計画地は昔、向嶋と呼ばれた土地であり、浦方の漁師町として田の字型の町屋の仕舞屋が軒を連ねていた。氷見町大火の類焼を免れた地域であり、住宅地の路地奥には今も古い時代の町屋の面影が残されている。大きな更新から取り残されたこの土地は、道幅が当時のままであるため敷地が建築基準法上の接道条件を満たしておらず、再建築不可の土地となってしまっている。住む人も居なくなった建物は老朽化が進むことで近寄ることも憚られるような街並みを作り出していた。
計画地は従来連棟長屋が建ち並んでいた敷地であり、建築基準法上の道に面していない再建築不可の敷地。施主の依頼は、「現自邸の裏にあるこの敷地に新たに住む住宅と事務所を建てたい」というものだった。
我々は接道している旧邸宅の敷地の一部を用いて再建築不可の敷地を接道させることで、新しい建築物の計画を可能にする方法を選択した。 敷地を法適合させる過程で、敷地を隔てていたコンクリートブロック塀を取り除くことになったのだが、その操作によって前面道路から奥の連棟長屋の玄関先が見えるようになった。
敷地内に一本の風の通り道が出来た事で、住宅地の奥で長年滞留し淀んだ空気が換気されるような感覚があった。それだけでなく、数十年住宅地の奥に隠れ人知れず朽ちていくだけの存在となっていたその場所に新たな建築物と活動が生まれることで、この地域が再び代謝するきっかけとなるのではないかと想像する。この敷地のありようひとつで、周辺地域一帯が物理的にも活動的にも風通しのよい場所になるのではないかと考えた。
「敷地を法適合させる過程で現れた風の通り道」を、敷地内に通る“中路地”として設定し、それをきっかけとして敷地全体の計画を構想する。
敷地内に計画する建物には“中路地に向かう庇”を持たせる。道に沿う庇を街並みの主要なパーツとして捉え各建物に付加し、中路地に沿って住宅街の家並みを敷地内へ延長することで町の雰囲気を奥路地へとを引き込む。雰囲気を引き込むうえで、氷見市内の長屋や商店街周辺の建物などに見られる庇の形式を拝借し、庇下の使われ方に応じて各建物に配置することで、氷見の街並みに馴染んだ親しみのある景色を作り出す事を意識した。
中路地沿いには地域交流スペースやレンタル畑など、地域住民が利用できる場所を配置することで中路地を地域の道として認知してもらう。 これらの操作によって奥路地への風通しを改善し、周辺地域の代謝を促す事が出来るのではないかと考えた。 この計画は新築住宅の一期工事をスタート地点として、使われ方や地域の情勢に合わせて計画を行い、姿を変えながら町に呼応していくものである。
住宅を作る上で施主にはひとつの思いがあった。この家に住む子供達は数年のうちに家を出て行く可能性のある年齢であり、ゆくゆくは夫婦二人で住むことになるため、空いた部屋を誰かに使ってもらえるようにしたい。住む場所に困っているひとや一人で住むことに不安を感じている人たちに使ってもらえたら。という思いだった。
そこで話した事は“家をシェアしていると捉える事”。家族だろうが他人だろうが、住み手一人一人が住宅の一室を借りていると捉える事で、住み手の入れ替わりを受け入れる事が出来る。今回の設計では、住み手と使われ方の変化に対応出来るシェア型の住宅を作ることが求められると考えた。
住宅部分はシェアハウスへ、事務所部分は地域の図書室やポップアップショップなどへと用途が変化していくことを想定して、1期工事の時点で法整理を行う事で、新たな改修を必要とせずそのまま建物用途の変更に対応することができるよう設計した。
構造は木造在来軸組工法を選択。断熱は外断熱工法を採用することで高い断熱・気密性能を持たせつつ、副産物として内部の木構造部材を現わしにすることを可能にした。これにより、棚を新設したり壁や建具を追加または減らしたりと使い手に合わせて改変することが容易になると考える。このような設えとすることによって使われ方の変化に対応出来る住宅を目指した。
1期工事での住宅の設計を進めるうえで基本理念としたのは、“未完成”であること。使われ方の変化を前提とした設計は、暫定的でありいかようにも変われる必要がある。しかし、人が住む空間としての落ち着きや生活するうえでの機能は持ち合わせていなければならず“多目的な箱”となってはならない。そのようなジレンマの中で現在と変化後の共通項を模索しながら設計を進めていった。
住宅の外観は敷地周辺に立ち並ぶ氷見型町屋の形態を踏襲し、切妻屋根を持つ矩形の単純なボリュームとすることでまちの人たちに親しみのある外観とした。
敷地内に設定した“中路地”面するこの住宅は、周辺に立つ平入りの形式と異なり妻入りになることから、町屋の田の字間取りの1階部分のみを90度ひねったような平面計画としている。1階と2階の関係にねじれが生じたことにより、氷見型町屋が持つ玄関先の付け庇は形態としての必然性を失い、ミセの周囲にとりつく急勾配の庇に新たな言語として代替された。
急勾配の庇は商店街の店先にとりつく看板を兼ねたオーニングをイメージしたものであり、施主の事務所の新たな記号としてこの住宅の顔として町に立ち現れる。
ミセサキに走る大きめの犬走りは。町屋の玄関先にある高めの基壇を取り込んだものであり、花壇や自転車など生活の一部が表出するのりしろとしての構えを作る。
2024年1月1日に起きた能登半島地震を受けて、一時的に被災者の為のシェアハウスとして利用することを決めた。転用を想定していたこともあり協議はスムーズに進み、現在は被災者向けシェアハウスとして貸し出している。
事務所で仕事をする施主と入居者の間で、使っていなかった家具のやり取りや作り過ぎたおかずのおすそ分けなど、小さなやり取りが起こっており、少しずつ新しいコミュニティが形成させつつある。 順序は入れ替わってしまったが、他人が集まり住宅をシェアすることには変わりはない。
被災者向けシェアハウスとして使って貰いながら、この場所のあり方を使い手と一緒に考えていき、反映させていきたいと思う。
用途:事務所併用住宅
所在地:富山県氷見市
竣工:2024年3月
主要構造:木造
担当:江畑隼也 / モ・トstudio
坂東幸輔
東秀佳/東工業株式会社
構造設計:-
設備設計:-
撮影:dot DUCK
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